
ブログ筆者は時々旅行に行きますが、今回はここ10年ほどで印象に残っている場所をご紹介します。皆さんも訪れたことがあるかもしれませんが、神社・仏閣を中心に取り上げます。建築に携わる者として、信仰の場に込められた空間設計や思想にも触れながらお伝えします。
神社仏閣和歌山県・高野山 ― 歴史が交差する祈りの場

和歌山県の高野山は、816年に弘法大師・空海が開山した聖地です。特に奥の院は、筆者がこれまで訪れた神社・仏閣の中で、最もおごそかな雰囲気に包まれた場所でした。
周囲には、信長・秀吉など大名のお墓だけでも110ほどが並んでいます。かつて比叡山焼き討ちなどで激しい宗教弾圧を行った織田信長が、仏教の聖地である高野山に眠っていること、さらに宿敵・明智光秀も同じ空間で静かに眠っているとのことで、不思議な気持ちになりました。歴史上の人物たちが、立場や敵味方を超えて同じ場所に眠っているという事実が、この場所の持つ特別な意味を感じさせます。
滋賀県・比叡山延暦寺 ― 「同じ目線」の建築思想
滋賀県の比叡山延暦寺は、788年に最澄が開山した寺院です。天台様式造りで知られています。
ここで印象的だったのは、参拝者の位置から3メートルほど低い場所にご本尊があるという独特な構造です。最初は「見下げてお参りするのか」と戸惑いましたが、これは「誰もが尊い存在であり、努力すれば仏に近づける・同じ目線である」という最澄の教えや思想を体現した構造なのだそうです。
建築が思想を体現しているという意味で、非常に示唆に富む空間でした。目線を合わせてお参りするという体験は、他ではなかなか味わえないものです。
山形県・湯殿山神社本宮 ― 裸足で向き合う山岳信仰
山形県、出羽三山の一つである湯殿山神社本宮は、入口の石畳から裸足でお参りする珍しい場所です。山岳信仰の聖地であり、やけどをしそうなほど熱い温泉が湧き出ている岩山を裸足で登り、お参りする場所もありました。
社殿内などとは異なり外部での参拝ですが、写真が見つからないのは撮影禁止であるだけでなく、「意図的な非公開」なのだそうです。雰囲気を知りたい場合は、公式・観光サイトの説明文を読むか、実際に現地で体験する形になります。「言葉や映像では伝えない」という姿勢そのものが、この聖地の神秘性を守っているのかもしれません。
三重県・花の窟神社 ― 日本最古級の自然信仰
三重県の「花の窟(はなのいわや)神社」は、国や神を産んだ伊弉冉尊(イザナミノミコト)が葬られたとされる神社です。黄泉の国(よみのくに)と接する場所と伝えられており、日本で最も古い神社の一つとされています。ご神体は非常に大きな岩であり、建物ではなく自然そのものを信仰する「自然信仰」の形を今に伝えています。社殿を持たない神社というあり方は、信仰の原点を感じさせます。
香川県・金毘羅宮と山形県・立石寺 ― 階段参拝の意味
香川県の金毘羅さん(金刀比羅宮)は階段が785段、山形県の立石寺は1,015段もの階段を上がってお参りすることになります。本当に疲れますが、階段をたくさん上がってお参りすると、一段ごとに心と体が清められ、神様へ近づくことでご利益が増すと考えられているそうです。

立石寺は、松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだことで知られるお寺でもあります。長い階段を上る体験は、単なる運動ではなく、精神的な巡礼の意味を持っているのです。ぜひ皆さんも挑戦してみてください。
沖縄・首里城 ― 防火と文化財保護を考える
沖縄の首里城を訪れたときには、消火栓や放水銃、ドレンチャー設備など、防火体制は万全であるとの説明がありました。しかしその後、火災によって焼失してしまい、残念な思いでテレビの映像を見ていました。首里城にはスプリンクラーが設置されていなかったそうです。
文化財の防火対策は、建築に携わる者として深く考えさせられるテーマです。歴史的建造物の価値を守るために、どのような設備・体制が必要なのか――技術と伝統のバランスをどう取るかが問われます。なお、首里城の正殿は、2026年11月23日より公開が開始される予定です。
伊勢神宮・出雲大社 ― 「見えない尊さ」の建築

伊勢神宮や出雲大社は、中が全く見えません。これは神道における「見えない尊さ」を大切にする伝統からきています。
ブログ筆者はまだ本当に神を感じるところまで達していませんが、丁寧にお参りをしてきました。今度訪れるときはフォーマルな服装を持参し、着替えてから参拝を申し込み、中まで入って参拝したいと考えています。「見せない」ことで尊さを表現するという建築的な発想は、現代建築における「見せる」志向とはまったく異なる、日本独自の美意識です。
これから訪れたい場所
今度、ぜひ訪れたいと思っているのは、鳥取県にある三徳山三佛寺(みとくさん さんぶつじ)の投入堂(なげいれどう)です。断崖絶壁に建てられた国宝建築で、どのようにして建てられたのか今も謎に包まれているといわれる建物です。
また、中学・高校時代の修学旅行で奈良・京都の神社・仏閣を回って以来、それらの地を訪れていないので、建築を長年やってきた者として、当時とは違う目で鑑賞してみたいと思っています。
おわりに
神社・仏閣は、単に歴史的な建造物であるだけでなく、信仰の思想や自然観が空間として表現された場所です。建築に携わる者として訪れると、素材や構造、配置の一つひとつに、深い意味が込められていることを感じます。
ガソリン代や宿泊費も高くなり、行ける場所も限られてきますが、できる限りいろいろな場所を見に行きたいと思っています。
皆さんも機会があれば、建築的な視点で神社・仏閣を訪れてみてはいかがでしょうか。きっと新しい発見があるはずです。